79年後の7月9日

 今日は7月9日。79年前に和歌山市に起こった悲劇は、いよいよ記憶から歴史へ変わっていく。その日を知った人は少しずつ鬼籍に入られていく。そして、おじいちゃん、おばあちゃんからその話を聞いた自分たちの世代は、聞く世代であり、語る世代ではない。教科書だけに出てくる歴史となる日も遠くないのかもしれない。

 自分自身の祖父母は、空襲を体験した人はいない。強いていえば、うちの父側の祖父が京都に空襲があった晩、同じ死ぬならええことして死んだ方がええ、と幼子をほっぽり出して、五番町に向かったことぐらいだろうか。ただ、母が満州からの引き揚げ者であったことを考えれば、母方の家族には戦争は長く、影を落としたできごとだった。

 都市計画から、空襲を受けた街の研究へと流れ、福井や敦賀、和歌山の空襲を研究していた私も、それなりに教科書的な空襲を聞いても、やはりどこか知らない世界のことだった。ところが、白浜町日置で父を空襲で亡くしたという僧侶の話を聞き、初めてリアリティを持って、戦争が見えたような気がする。その後、横須賀の街へと流れつき、当時の資料がダイレクトに心に届くようになったのは、このような経験というか、ある程度の限界値を超えるまで、何かを心に注ぎ続けたことが原因なのかも。

 その時に、横須賀にいた女性と子供達のリアリティを伝える仕事が、一つの使命となった。ただ、Yokosuka1953はそこまでの仕事になってはいない。自分の実力不足がいやになる。

 今日は7月9日。和歌山の空襲も心に浴び続けてきた。しかし、まだまだ何かの形にはなっていない。こんな情けない姿を、この墓に眠る人たちはどう見ているのだろうか。ただ、忘れず、続けていく。体力が続く限り。

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