浅虫温泉に思ったこと

2024年9月25日朝日新聞和歌山版掲載 ウラマチぶらり「三つの宿 新たな歴史へ」から

9月の中旬、日本オーラル・ヒストリー学会の大会に参加。今年は青森県立大学が主会場でした。初日に開催されたエクスカーションでは「ねぶた」がテーマ。青森駅近くのワ・ラッセに集合して、ねぶたの基本的な知識を得てから、浅虫温泉に移動しました。

浅虫温泉では今年リューアルオープンした三つの温泉宿を見学。ファミリー層に特化したホテル秋田屋。長い歴史を持ち、棟方志功との縁も深い椿館。そして、南部屋旅館、と。聞くと、これらの旅館はコロナ禍で、業績が急激に悪化。一緒に地域経済活性化支援機構によって再生されている宿とのこと。

そういえば、ずっと昔、2017年の頃に、この浅虫温泉には来ていました。

観光学部に移動してからの2年目。北海道のゆうばりファンタスティック映画祭に参加してそのまま、北海道から東北に渡り、南下していく旅をしました。そして到着したのが青森県青森市。当時、観光協会が開催していた企画で、朝一の電車で青森市から浅虫温泉までの往復切符と温泉の入浴券(+食事も?そこは記憶にない)のセットが売られてて、浅虫温泉を訪れたのでした。

大雪の中の浅虫温泉駅(2017年3月撮影)

北海道からそうでしたが、2017年は3月にも関わらず大雪で、浅虫行きの列車も雪に覆われていました。また、浅虫温泉の温泉街も、早朝ということもありましたが、めっちゃ寒くて。ただただ、雪の中を遭難しそうになりながら歩いた、そしてだからこそ温泉がとても温かったことを覚えていました。

大雪の中の浅虫温泉街(2017年3月撮影)

そして、そんな雪の思い出の浅虫温泉に再び。南部屋旅館さんで、街の歴史を聞きました。知らなかったのですが、浅虫温泉は歴史は平安時代まで遡ることができて、明治24年に東北本線浅虫駅が開業してから特に、「東北の熱海」として賑わったそうです。昔は、蛇口をひねれば温泉が出るとまで言われた街でしたが、堀削が進みすぎて温泉が枯渇しそうになり、昭和41年から集中管理方式が導入されたそうです。

集中管理されている温泉湯

勉強の時間から夜の学会の懇親会までの間、自由時間がありました。温泉にも入ったりしましたが、気になるので街の中の散策です。昔、雪の中を歩いた時とは違って、線路の両岸に街が広がっていることもよく理解できました。街の中には足湯もあり、近くの温度の高い湯の近くでは温泉たまごを作っている人もいました。

すでに閉まっている温泉宿、廃屋、今は営業してないように見える飲食店。日本各地の温泉街で見られる風景です。昔のような会社持ちの慰安旅行が少なくなり、団体で人々が動かなくなった時代。さらにそこにコロナ禍。

浅虫温泉街の風景

温泉街で少しお酒を飲みました。とある店で、街の再生のことを話していると「私、再生で来ている人たち、あまり好きじゃないの」と店の方が言いました。その言葉に、この温泉街の体温を感じたような気がしました。

青森県は二つの銀行の合併が近々行われます。このタイミングだったからこそ、今回の再生事業がかなった、そういう人もいました。しかし、それまで個人事業主として温泉に関わってきた人々、彼らはコロナ禍という大敵と戦ってきた人たちです。そこで大きく傷を得て、彼らが経営権を手放しての再生。元々のオーナーとは違う、派遣されてきた人々が、経営権を担う。そういう時代だから、でも、何か、心にひっかかるところがある。

それぞれの宿はリニューアルされて経営は順風だということのようです。温泉宿というのは、常時リニューアルしながら行う必要があり、少しでもそのルーチンが鈍くなると廃れていく”設備産業”である、そういうことを聞いたこともあります。リニューアルして、美しくなった宿には多くの客がやってくる。きっと、それは正しい流れなのでしょう。

ただ、その風景を見て、コロナ禍は去った。そう単純に言えない構造がそこにはあるように思いました。それを感じた旅でした。

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