今回の新型コロナの問題が起こる前から、大学研究者のあり方を考えることが多くなっていました。それは多分に観光という実学の分野に来たからでしょう。観光は古くからの産業ですが、日本における学問分野としての歴史はそれほど長くありません。大学で教えること、研究すること、それがどのように社会と結びつくのか。それとも大学の研究と観光の業界は全く別の世界なのか、別の世界であるべきなのか。それを考えていました。

例えば実務家教員の存在。社会で実務経験を5年以上重ねた人を実務家と呼び、大学にはその実務家を一定数以上採用することが今は求められています。私は観光学部に異動して6年目。福井市や甲賀市の観光戦略の委員をしてきましたが、このような大学教員としての関わりでは実務年数に含められません。実務家を採用すべしの声は大学教員には実務経験が少ないから、より社会に役立つ教育を行うには実務家が必要という考えによるのでしょうか。しかし、大学教員としても実務経験を積むことはできるはずです。

こういうことを考えながら、ふと振り返ると学生をしていた建築系の大学。建築家の先生方が多くいました。実務家が教授になることもあれば、教員が実務をして建築家になっていくこともあります。いわゆるプロフェッサーアーキテクトとして市中の建築家よりも実作も多く、売れている方もいます。丹下健三先生の時代はむしろ大学が都市計画を考え、建築界をリードしていました。

実務家教員を否定するつもりは全くありません。前任校でも今の大学でも実務出身の素晴らしい先生方をいっぱい知っています。ただ実務ができないと思われてしまっている今の大学に問題を感じています。実学の観光学。そこに属す私はどう社会に役立てるのでしょうか。もちろん若い学生たちの指導が大事な仕事で、これに奉職することに社会上の大切な役割があることは存じております。

夢見ていた大学の形がありました。それはかつて修士課程を学んだロンドン大学の研究室の形でした。スペース・シンタックスと呼ばれる解析手法を作り上げたのは、私の師の一人でもあるビル・ヒリア先生でした。彼の手法を用いたコンサルティングファームがスペース・シンタックスリミテッドです。フォスターやロジャースといった有名建築家たちとトラファルガー広場やミレニアムブリッジなどの大きなプロジェクトを一緒に行っていました。このベンチャーラボラトリーの社員の多くは博士課程の学生たちでした。スペース・シンタックスの手法を修士課程で学び、給料をもらいながら最先端のプロジェクトに携わり、学位を取る。留学生が多かったので、彼らは帰国後、重要な仕事を本国で続けています。

スペース・シンタックス手法を用いた解析の例(木川によるパリの解析)

 

このようなプロジェクトをヒリア先生の授業で聞き、とてもエキサイティングな感動を感じていました。こんな大学の形に憧れて、ついつい日本に帰ってからも博士課程に進んでしまいました。

ヒリア先生は私が博士課程の学生だった2004年に京都工芸繊維大学に偶然来られることになって、先生の講演を母校で聞き、さらには私もパネラーになったので、先生の前で発表をする名誉を受けました。京都の観光地を案内し、1対1で食事をし、彼の学生だった頃には恐れ多くて聞けなかったことをいろいろ伺えました。

あこがれの先生だったヒリア先生は昨年の11月に亡くなられました。

中央で白いシャツを着ているのがヒリア先生

 

観光学に戻ります。これだけ大切な産業である観光。これからの日本の未来を担うこの観光で、実務、観光地の計画やプロモーションに正面から向き合う大学の研究室は必要とされていないものなのでしょうか。今、日本中で「文理融合」がキーワードとなっていますが、これは学問分野の話ではなく、文系と言われる学問も理系並みにプロジェクトを回す、そういう教育が求められていると私は解釈しています。

日本国際観光映像祭もドキュメンタリーの製作も、大学研究者として社会と関わり、社会に貢献できることはないか、と行動している中で具現化していったことです。学生たちと一緒に社会に役立つ何かを行いたい。その想いからだったと思います。

こういう風につらつらと書いていること自体が、まだまだ上手くいっていない証左です。

今年の4月に教授を拝命しました。しかし、あこがれていたヒリア先生、そしてありたい大学研究者になるには全くもって、自分自身の成長が追いついていない。学生がいない大学で一人、いろいろと考えてしまいます。

 

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